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遅ればせながら、あけましておめでとうございます。

本年も「はちぶんのこと」にお付き合いいただけるとうれしいです。



さて、今年がスタートしてはや十日が過ぎました。

お正月は家や実家でゆっくりと家族の時間をたのしみ、先日の三連休には「厄除け」に行ってきました。


というのも、昨年は三十五歳という区切りの歳だしと初めての人間ドッグに行ったにも関わらず、その後あちこち身体の不具合が出てきたり、息子から手足口病をもらったり(大人がかかるとかなりつらい)。なんだか健康面で冴えない一年だったよなあと思い、ふと「もしやこれって厄年なんじゃ?」と調べてみたのです。すると昨年は前厄、そして今年は本厄ということが判明しました。


普段そこまでそんなことを気にしているわけでもないのに、悪いことが続くと「厄年のせいだ!」と言いたくなるのもおかしい話なんですが、気づいてしまったからにはやっぱり本厄を迎えるにあたって厄払いに行っておこう!去年より冴えない一年なんてゴメンだ!ということで、数年前にも確か同じような心持ちで三十三歳の厄払いに行ったお寺を再訪することにしました。


しかしわんぱく盛りの息子連れな上、日曜日は混んでいそうなので、引き腰なわたし。

「お札だけ買ってサッと帰ろうか」と夫に言うと

「前回御祈祷までしてもらって一年特に何もなかったんなら、今回も同じようにしてもらったらいいんじゃない?」

と諭され、そう言われればそうかもしれんけどもなあ…と半ばしぶしぶ申し込み用紙の御祈祷希望に丸をつけ、受付へ。


受付で御祈祷料を支払うと、その場でお札の裏に願い事(自分も家族も健やかにということで「家内安全」にしました)と氏名を毛筆でさらりと書いてくれます。

じっと滑らかな筆の動きを見ているうちに、すでに厄を払ってもらっているかのような清々しい気持ちになってきました。

待ち合いでしばらく待つと本堂に案内され、お香の香りが立ち込める中でお経を聴き、氏名を読み上げてもらうまで全部で二十分ほど。

全てが終わり、外に出る頃にはちょっと背筋が伸びて気持ちがスッキリしているから不思議です。夫よ、諭してくれてありがとう!という気持ち。(笑)

さあ、これで厄は払えたし、いい年になるぞ〜!と大手を振って歩きたくなります。いやはや、我ながら単純です。


でも案外その通り、こうして気持ちをぐんと引き上げて、「あ〜なんかいい事ありそう」と思って過ごすと本当にいい事が寄ってくる気は、します。もしくはちょっとした「いい事」を見つけやすくなるというのもあるかもしれません。

こんな事まで言うと厄除けのお寺に失礼な気もしますが…例えば、虹を見た!とか四葉のクローバーを見つけた!とか茶柱が立った!とか(笑)、そんな「いい事ありそう」と感じる気持ちに似ているなあとも思いました。


今年厄年やしなんか悪いことあるんかなあ…とビクビク過ごすより、厄は払った!スッキリ!と清々しく過ごせた方がいい一年になりそうだから、きっと後厄の来年もわたしは厄除けに行くのだろうと思います。


実はたまたまこの記事を書いている今日、小雨の降る中に太陽の光が射して大きな虹かかった瞬間を見ました。

「わー!めちゃくちゃいい事ありそう!」と思ったのは言うまでもなく。


そうしていつも単純に、いい事いっぱいありそう!とたくさん思える一年にしたいです。

みなさまも、いいことありそう!な一年になりますように。



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